2012年4月1日日曜日

悟りとは何なのか

この世に来た目的は悟ることです。
執着するためではないのです。
そこをみんなはき違えているのです。
その結果、自分自身で迷路をつくり、しっかりそこにはまってしまっているのです。
それで”がんじがらめ”になって、「どうすればいいか分からない」
「自分でもどうにもならない」というようになって、
その結果また求めていくというのが、今の人の意識です。
まるっきり違うことをしているのですから、迷路をつくってしまうようになるのは当然です。
だから、この悪循環を早く断たなければなりません。
生きることの目的が、悟るということと認識したなら、もう執着することはしないですみます。
ただそれぞれの魂を磨くことのみを目的に、生きていけばいいのです。
たとえば、今日ある人と話をしていて、
「あ、またヤキモチ焼いちゃったな」とか、
「バカやっちゃった」とか、
「どうしていつもわがままが出てしまうのだろう」というように反省してほしいのです。
わがままな自分が出てしまった時に、
自分自身のエゴを感じるようにすればいいのです。
「こうしなければならない」、「得したい」、「自分だけがよくなりたい」、
「どうして分かってくれないのか」と思う結果、
嫉妬したり、恨んだり、嫌悪感に陥ったりといった”枝”ができてしまうのです。
それを分かってしまえば、生きているのがとても楽になるはずです。
自分の中に芽生えた我欲というのは、本当は陰も形もないものなのです。
みなさんの心の中で勝手につくってしまうものなのです。
ということは、エゴなんて自分の手で絶つことができるということです。
自分自身の手で迷路をつくりだし、イライラしたり、人の中傷をしたり、
対立する意識をつくりだしてもつまらないだけです。
とても情けないことです。
みんな同じ目的で生まれてきているにもかかわらず、互いに対立し、いがみ合ったりする。
それはとても変なことです。方向が違います。間違っているのです。
このことがわからないために、違う方向に進み、その結果、他人のことを恨んだり、
呪ったりしているのです。これではますます違った方向へいってしまいます。
ですから、常に反省することが大切なのです。

愛は許すことです。何をされても許すことです。許せる心が仏の心です。
サタンの心は許すことができない心です。何かをされる度に恨み、憎み、嫌うのです。
みなさんの心の中にサタンがいたら、無意識にその方向へ進んでしまいます。
だから常に反省することが大切なのです。
これはさほどむずかしいことでは内のです。
選ぶ道はこの2つしかないのです。
つまり喜んで犠牲になり、愛を生きる人になって自分を捨て去るか、
自分の思うがままに生き、相手を犠牲にして自己中心になって生きるか。
どちらかしかないのです。
どちらを選んでもいいのです。ただ帰る場所が違うだけです。
片方は明るいほうへ、もう片方は暗いほうへ帰ります。
この選択はみなさんの自由です。
あなたがしたい生き方をすればいいのです。
ただマイナス思考の人は、自分が辛くなり、相手も傷つき、
ましてや死んでから自分が辛い思いをします。
逆にプラス思考の人は、生きていても楽しいし、死んだら当然天界へ帰ります。
右、左、どちらを選んでもいいから、今日から徹底的にどちらか決めて下さい。
この世には、悟るために来ているのに、
「自分だけが良くなりたい」と思ってどうするのでしょうか。
矛盾しています。
「悟ろう」とするのと、「よくなりたい」というのを共に実現させるのは無理です。
方向性が違うのです。
「自分が良くなりたい」がために、いずれは人を犠牲にするのが悪魔の心です。
愛を持った人にはこのような心はありません。
愛のある人は、「みんなをよくしたい」、
「みんなのために何かしたい」という気持ちで溢れています。
そのためには、自分を捨てることです。
ときめいて、生き生きと、みんなに感謝して、みんなを喜ばせてうれしい自分になることです。
そこには「良くなりたい」という自分などいないはずです。

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